四季報 そよかぜ 2020年1月号

「追悼」

院長 岡田 達也

令和元年11月18日午後7時8分、医療法人一仁会前会長であり、私と岡田純理事長の父である岡田慶夫が永眠いたしました。

生前に賜りました皆様のご厚情に対して改めて深く感謝の意を申し上げます。

石野病院時代には顧問として外来診療棟に携わってもらいました。脳神経リハビリ北大路病院となってからは会長として精神的バックボーンとなり陰ながら我々を支えてもらいました。

ここ数年は病気療養のため、外来、病棟、訪問リハビリ等でスタッフの皆様に本当にお世話になりました。93歳まで長生きでき、最後を迎える直前までげんきでいられたのもみなさまがたのおかげ元気でいられたのも皆様方のお陰と感謝いたしております。

父は医師としてのほとんどを国立大学で過ごし、学長までつとめ、勲章ももらい世間からみても成功した人生と言えると思います。ただ私から見ると平成9年(1997年)に大学を体感して石の病院に来てからの方が幸せそうに見えました。

ご近所のお年寄りと外来で話し、休日には好きな蝶を追いかける。闘病生活に入ってからも体のリハビリ、心のリハビリで長く元気にいられました。

家族とともにスタッフの皆様に見守られて最期も幸せに旅立っていきました。

本当にありがとうございました。

これからは天国から我々を見守ってください。

合掌

【岡田慶夫(おかだよしお)】

大正15年(1926年)10月31日

京都市右京区に画家岡田利三郎(画号:山本紅雲)の長男

昭和27年(1952年)京都大学医学部医学科卒業

昭和51年(1976年)滋賀医科大学第二外科教授

昭和62年(1987年)滋賀医科大学副学長(付属病院長)

平成05年(1993年)滋賀医科大学学長

平成09年(1997年)滋賀医科大学退官(名誉教授)

平成09年(1997年)医療法人一仁会会長・顧問

平成14年(2002年)叙勲(勲二等瑞宝章)

令和元年(2019年)11月18日没(享年93歳)

蝶を採取に世界中を飛び回っておられ、書籍も出版されていました。

是非ご利用ください~訪問リハビリ きたおおじ~

訪問リハビリ事業所 管理者 理学療法士 徳田 優美

「リハビリは単なる機能回復ではなく、「自分らしく生きること」が重要でそのために行われるすべての行動がリハビリ」と言えます。

しかし多くの人が、病院を退院したら「卒業」と考えるのではないでしょうか?長い入院生活から家に戻ると、思いもよらなかったことが浮き彫りになることが度々あります。

「トイレが使いづらい」
「お風呂に入りたいが、湯船から上がりにくい」
「靴の脱ぎ履きが不安定」
「バスに乗りたいが、怖い」

など、入院中では気付けなかったことが出てくるかもしれません。また、元気な時は何でもなかった事が、動くとしんどい・怖い、思うようにできなくて不安で、家に引きこもりがちとなり、ご家族も混乱。

「せっかく病院でリハビリして良くなって、入院中はできていたのに…これからどうすれば…」と。

これで本当に「自分らしく生きること」ができるでしょうか?家に帰ってからが一人ひとりにとっての本当の意味での「リハビリ」なんじゃないかと感じています。

そこで、私たち訪問スタッフの出番です。家に帰って「これがやりたい!」というお気持ちに寄り添い、どうすればできるのかを一緒に考え、リハビリをご自宅で実施します。自分の家で、安全に安心して過ごせるようにできる限りのサポートをいたします。

退院したらリハビリ「卒業」ではないですよ!

少しでも気になることがあればお気軽にお声がけください。

北大路病院フットサル活動について

こんにちは。理学療法士の前田です。

北大路病院フットサル活動についてお話させて頂こうと思います。

フットサルとは、1チーム5人制で行うサッカーで、当院は年に一度の私立病院協会主催の大会に出場させて頂いています。

実のところ、僕がこの病院に入職する決め手となった理由の一つでもあります(当院だけでないのを知ったのは入職後の話ですが、これもご縁ですね笑)。

フットサルのいいところは、部署も違えば年も違い、上司部下関係なくチームで同じ目標に向かい尽力できるところです。みんな仲良く汗をかき、和気藹々としています。しかし、気になる戦績はここ数年芳しくない結果となっています。課題はただ1つ、練習不足です笑。この課題を克服し、次回こそは久しぶりの決勝トーナメント進出を目指したいと思います。

例年11/3に予選リーグ、11/23に決勝トーナメントがあります。

ぜひ北大路病院フットサルチームの応援を宜しくお願い致します。

 

「ドーピングって本当のところ何?」

整形外科 橘 真一

来る2020年、日本で2度目となるオリンピックが東京を中心に開催予定となっています。

前回は昭和39年(1964年)だったので実に56年ぶりという事になります。

当時、私は1歳だったので何の記憶もありませんが、日本中が盛り上がったのでしょう。

国民の祝日である体育の日がオリンピック開催を記念して制定されたことはご存知の事と思います。

今でこそ、ドーピングという言葉を聞くことは珍しくありませんし、色々な競技でそういったニュースを見聞きされると思いますが、私自身が最初にその言葉を耳にしたのはやはりオリンピックだったような気がします。

ドーピング(dooping)の語源としては諸説があるようですが、南アフリカの原住民が儀式舞踊の際に引用していたアルコール飲料dopに由来するという説と、オランダ語で濃いディップソースを意味するdoopからきたという2説が有力なようです。

いつ頃からそういった行為が行われていたかですが、すでに古代ギリシャ時代に競技者が興奮剤を用いていたという言い伝えがあるそうです。

記録に残っているという事になると1865年に行われたオランダでの水泳大会で興奮剤が使用された記録があり、今も昔も人の考えることは似たり寄ったりの感が否めません。

1900年代になると競技中に興奮剤の過剰摂取で死亡する事例も出てきました。

オリンピックでも1960年(ローマ)に自転車競技中の選手が死亡する事故が起きました。

ドーピング検査自体の歴史は浅く、1966年に国際サッカー連盟(いわゆるFIFA)と国際自転車競技連合が初めて検査を行いますが罰則等は特になく実効性はありませんでした。

尿検査が主として行われますが、血液検査をするようになったのは何と2000年のシドニーオリンピックからであり、まだ20年も経過していないのが現状です。

現在、国際レベルのあらゆるスポーツのアンチドーピング活動を促進、調整しているのは

WADA(world anti-doping agency)という組織になりますが設立は1999年です。

それ以前はIOC(国際オリンピック委員会)が主体となって行っていました。

日本では1985年に行われた神戸ユニバーシアード競技大会でアジアでは初めてIOC認定ドーピング検査機関が設立されました。

JADA(japan anti-doping agency)の設立は2001年の事になります。

ドーピングに該当するか否かはthe world anti-doping code(通称code)の規定に則り判断され、禁止されている10項目に一つまたはそれ以上該当すればドーピングと判断されます。

実際に尿検査、血液検査で違反物質が検出されれば言わずもがなですが、検査自体を拒否する行為、使用していなくても所持しているという事も禁止項目になっています。

加えてWADAのブラックリストにあがっている人物との接触等も禁止されています。

興味深い実例も紹介しようと思っていたのですが、そろそろ余白がなくなってきました。

今日、WADAをはじめとし世界的にはplay trueという概念を標榜してアンチドーピングに取り組んでいます。

少しでも興味を持たれた方は、ウェブでJADAのページを試しに開いてみて下さい。

最後まで駄文にお付き合いいただき有難うございました。

 

アーカイブ