四季報そよかぜ 2018年夏号(7月号)

【防犯訓練】

7月2日に下鴨警察の生活安全課の方にお超し頂き、防犯訓練を行いました。
今回は外来にナイフを隠し持った不審者が侵入してきたということを想定しました。

以前、院内の勉強会で防犯について学び、さすまたを実物で見たこと、持ったことはあったものの実際に不審者が侵入してさすまたで身体をおさえこむということは初めてでした。

不審者と確認したところで、受付のシャッターをおろし外来の待合におられる患者を安全なところへ誘導し、各診察室のカギをしめ部屋への侵入を防ぎ、警察に通報、エレベーターを停止、全館放送、職員がさすまたを持ち警察が到着する約5分間を、不審者をさすまたでおさえる。

文章にすると簡単ですが、この5分間が長い!!

今回参加した職員からはもっと外来が混んでいたら?

受付一人でシャッター閉め、通報をしていて時間がかかってしまったと、反省点や改善点がたくさんあったと声がありました。警察の方のお話では、通報をいかに早く行うかがカギだそうです。

訓練を定期的に行い、焦ることなく職員一人一人が役割をもって対応することが必要だと思います。

地域連携室だより

祇園祭

毎年七月になると京都ではあちらこちらで祇園祭を感じることができます。

小さい頃は宵山(七月十六日)、宵々山(七月十七日)に出ている夜店目当てでしかなかった祇園祭ですが、実は一か月にも渡って祭りが行われているのを知ったのは大人になってからでした。

日本三大祭のひとつ、京都の祇園祭。千百年余りの伝統を有し、七月一日から三十一日までの一か月間行われる見どころが盛りだくさんのお祭りです。(ちなみに日本三大祭のあと二つは大阪の「天神祭り」東京の「神田祭」だそうです)

平安時代前期の八六九年(貞観十一年)に京都をはじめ全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう):素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が禁苑(宮中の庭)である神泉苑に国の数と同じ六十六本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王:素戔嗚尊を祀り、更に牛頭天王:素戔嗚尊を主祭神とする八坂神社(祇園社)に三基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会が起源と言われています。その後九百七十年(天禄元年)から毎年旧暦六月十四日に行われるようになりました。

さて、七月一日からほぼ毎日行われる祇園祭。何が行われているのか…?

前半は「前祭り」と呼ばれており、初日の「吉符入り」から始まり三十一日の「疫神社夏越祭」まであり、主な行事としては、二日の「くじ取り式」山鉾巡行の順番を決める行事です。しかしながら先頭は毎年同じで「長刀鉾」二番目からの山鉾の順番を決めるものです。十日には「お迎え提灯」「神輿洗」夕刻より神輿を迎えるための提灯行事があり、二十時頃より中御座の神輿を四条大橋下まで運び鴨川の水で洗い清めるそうです。十日から十四日にかけて「山鉾建て」十四日から十六日までが宵山、十七日が「山鉾巡行(前祭り)」山車の上に山の形の屋根を乗せ、色鮮やかな装飾を施した山鉾が京都市街を巡行し清めます。最大の見どころは辻回し。構造上曲がることができない山鉾の下に竹を敷いて人力で回す様は圧巻!

同日、夕刻からは「神幸祭(神輿巡行)」。山鉾巡行が終わると、三人の祭神が神輿に乗り移り、氏子区域を巡行し清めます。巡行とは違い、神輿一基に対し五百人が交代で巡行し、一基二トンはあろう神輿を担ぎます。巡行とは違った迫力があります。

そしてここからは「後祭り」と言われる行事が続きます。「後祭り」とは…?

古来、神事の中心となる十七日の神幸祭と二十四日の還幸祭にあわせて前祭りの山鉾巡行、後祭りの山鉾巡行をすることが習わしになっていましたが、昭和四十一年からは「前祭り」「後祭り」が合同化されていたようです。しかし千年以上にわたって継承されていた習わしを後世に正しく伝えていくために、平成二十六年から「後祭り」が復活しました。

十八日から二十一日に抱えて「後祭り」の「山鉾建て」、「宵山」と続き、二十四日に「山鉾巡行」夕刻から「還幸祭」が行われます。二十八日には「神輿洗」四条鴨川で神輿を洗い清め八坂神社へ戻ります。三十一日に「疫神社夏越祭」を八坂神社の境内で行い、祇園祭は終了します。八坂神社の祭神素戔嗚尊が蘇民将来の世話になり、世話になったお礼に子孫を疫病より守るとされた護符と栗餅を授かるというのがこの神事の習わしで、鳥居に設けられた茅の輪くぐって厄気を祓い、疫病退散を願う茅(ちがや)を抜き、小さな茅の輪を作り持ち帰り無病息災を祈願する習慣もあります。

さて、今年ももう少しで「祇園祭」の時期ですね。歴史を知って参加するとまた今までとは違った「祇園祭」を楽しむことができるかもしれません。