四季報そよかぜ 2017年7月号

リハビリだより

言語聴覚士の仕事

はじめまして、言語聴覚士の別當です。脳神経リハビリ北大路病院には、リハビリを専門に行う職種として「理学療法士」「作業療法士」「言語聴覚士」が働いています。私たちは、医師や看護師、臨床心理士、ソーシャルワーカー、管理栄養士、看護助手などと連携をはかり、1人1人の患者様にリハビリを提供しています。

今回はその中でも、言語聴覚士の仕事内容を紹介したいと思います。言語聴覚士を簡単に説明すると、ことばや聞こえ、食物を口から食べることに障害を持つ方の機能回復や発達促進の援助をおこなう医療、福祉における専門家です。1997年に国家資格となり、現在約2万2千名の有資格者が全国にいます(2013年3月)。

言語聴覚士に関わるさまざまな症状とリハビリ

ここの病院で言語聴覚療法を受ける方の代表的な障害に、「高次脳機能障害」「摂食・嚥下障害」「構音障害」などがあります。

高次脳機能障害とは脳の損傷によって、言語、思考、記憶、行動、学習、注意などに障害が生じた状態です。円滑なコミュニケーションや学習、動作の遂行などに影響が生じます。症状の個人差が大きく、訓練プログラムも多種多様にわたります。

たとえば失語症の方へは、絵や文字のカード、プリントなどを使い、言葉の理解力を高めたり、日常生活に必要な物品の名前、会話の中で使う言葉などがスムーズに出るように促したりといった訓練を行ないます。

食べ物を噛んだり、飲み込んだりできない状態を、摂食・嚥下障害といいます。これにより、肺炎や食べ物による窒息、低栄養による体力・免疫力の低下が起こる可能性もあり、食べる喜びも失われてしまいます。最初は食べ物を使用せずに訓練を行い、全身状態の回復とあわせて徐々に能力が向上してくれば、ゼリーや実際のご飯を用いて訓練を行っていきます。

また、声のかすれや大きな声が出ないといった声の障害や、発音が歪んだり誤ったり、呂律がまわらないといった構音障害がある方も対象となります。脳血管障害、腫瘍、声帯ポリープなどさまざまな原因でおこります。

不明瞭な発音や不自然な音声は聞き取りにくく、話しことばによるコミュニケーションに影響を及ぼします。呼吸や発声、舌などの発声発語器官の運動を促したり、苦手な発音を中心に単語や文の発話訓練を行ったりしています。

私たちの提供するリハビリとこれからのために

今回紹介したのは、ほんの一部でこれ以外にも多くの症状があり、それらのリハビリも様々です。1人1人の症状はもちろん違うのですが、望まれる目的も違います。病前の生活環境や、今後の生活環境をふまえ、一人一人の生活スタイルに合ったリハビリを提供できるように取り組んでいます。私もまだまだ力不足ではありますが、患者様、家族様の力になれるよう努力していきます。

 

おばぁちゃんと「都をどり」

看護師 西沢友実

蒸し暑い日が続きますが、みなさん隊長は崩されていませんか?水分しっかり取ってくださいね。私は夏が大好きなので、蝉の鳴き声が待ち遠しい今日この頃です。

さて、私は今、父と母、91歳になるおばぁちゃんと一緒に暮らしているのですが、このおばぁちゃんがすごいんです。何がすごいとかと言いますと、91歳になった今でも、ピザにハンバーグ、牛丼にお寿司、私たち胸やけしそうなハンバーガーショップのポテトを一人でたいらげてしまう、そんなパワフルなおばあちゃん。でもとっても小さくて、まるでお人形さんのような可愛らしいおばぁちゃんなんです。私にとっておばぁちゃんは、元気の源でもあり宝のような存在です。

先日、毎年恒例の春の職員会でじゃんけん大会が行われたのですが、最後まで勝ち抜き「都をどり特別観覧席」のチケットを頂くことができました。真っ先におばぁちゃんの顔が思い浮かび、一緒に行こうと声をかけると、満面の笑みでチケットを握りしめ、涙を流して喜んでくれました。

当日の朝起きてみると、先に起きていたおばぁちゃんは、何日も前から準備していた服に着替え化粧も完璧。そんなやる気マンマンのおばぁちゃんを連れ、いざ祇園甲部歌舞練場へ。桜は満開で天候にも恵まれ晴天、絶好の都をどり日和でした。

私自身二度目の経験ではありましたが、綺麗な舞妓さんに華やかな踊り、見ているだけでとても幸せな気持ちになりました。そして何より、それをおばぁちゃんが本当に嬉しそうに見ている姿を見て、もっともっと幸せな気持ちになりましたし、しわしわの手を握りしめ二人で歩いた祇園の街は格別でした。

なかなかこのような機会は無かったので、とても楽しかったですし、おばぁちゃんとの良い思い出作りができて本当に良かったです。都をどりに行かれたことがない方は、是非一度行ってみてください。とても素敵ですよ。ちなみに私はまた来年の春、92歳になったおばぁちゃんと一緒に行く予定です。

院長 岡田達也 新連載

私と鉄道写真 第1回

私が鉄道に興味を持ったのは小学校低学年だったと思います。

祖父、石野琢二郎(医療法人一仁会の創設者)の家を訪ねると、いつもJTB(当時は日本交通公社)の時刻表が置いてあったのを覚えています。祖母が旅行好きで、いつも時刻表を見ていたのだと思います。

いつの間にか私も興味を持ち、時刻表を見ればどれが電車でどれが客車なのかがわかるようになりました。

名古屋に住んでいた小学校高学年のときに、東北への家族旅行計画を一人でたててJTBの窓口の人に感心されたのを覚えています。
今も私のベッドサイドには時刻表が置いてあり、実際に旅行に行く暇がなくても、頭の中で旅行を楽しんでいます。